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便利だったサービスが買収で迷走し消えてゆく時代に思うこと


そこそこ便利で、生活にちょうど良く馴染んでいたアプリやサービスが、ある日突然「◯◯に買収されました!」と発表され、その直後から使い勝手がガラッと変わる──そんな経験が何度あっただろう。Stocardもそのひとつ。ポイントカードを手軽にまとめられて、バーコードも表示できる。余計な機能もなく、ちょうどいいサイズ感のツールだったのに、数年前に買収の個口があり、忘れた頃にKlarnaのIDが必須に。もはや「Klarnaのための入り口」になってしまった。

StocardがKlarnaにログインすることを求める

SkypeもStocardも、どこへ行ったのか

こうしたケースはStocardに限った話ではない。かつてオンライン通話の代名詞だったSkypeもそうだ。マイクロソフトに買収される前、Skypeは軽快でシンプル、国際電話の革命児のような存在だった。ところが世界的大手企業による買収後はUIが煩雑になり、いつの間にかTeamsとのすみ分けもあいまいになり、ZoomやDiscordに主役の座を奪われてしまった。あの時代、Skypeがどれほど便利だったかを覚えている人ほど、今の姿に軽くため息をついてしまうはずだ。

Evernote、Feedly、TweetDeck、そしてSkype……名前を挙げればきりがない。大企業に買収された瞬間、それまでユーザー視点で作られていたプロダクトが、どこか遠い企業の収益モデルの一部として株主の意向で再編されてしまう。ログイン方法が変わり、課金体系が変わり、広告が増え、UIも「統一」の名のもとに変えられ、しまいには株主の意向でサービス自体が終了してしまう。愛着を持って使っていた身としては、「ありがとう」と言う間もなく切り捨てられたような気持ちになる。

なぜこうも「便利だったちょうどいい」サービスは長生きできないのだろうか。ユーザー数が一定に達しても、収益化に至らなければ投資家には評価されないのが現代のサービス経済。自立した運営は難しく、結局は資本力のある企業に取り込まれてしまう。だがその時、最も大切にされるべき「日々使っているユーザーの感覚」が、あまりにも軽視されがちだ。結局、道具は使う人がいてこそなのに。

ユーザーとともに育つサービスを願って

とはいえ、いつまでも愚痴ばかり言っていても仕方がない。最近では、オープンソースで開発される代替アプリや、小規模ながらユーザー目線を大事にしたサービスも増えてきた。完全に無償で続けることは難しくても、「必要な機能を最小限、適正な価格で提供する」姿勢を打ち出すサービスには希望が持てる。

願わくば、ユーザーの声がもっとダイレクトに届き、便利だったサービスが「売られること」ではなく「育てられること」を選べる未来であってほしい。必要なのは、私たち一人ひとりが、ただ無料に飛びつくだけではなく、その価値にきちんと対価を払う文化なのかもしれない。便利だったSkypeやStocardを失うたびに、その大切さを痛感するのだ。

Stocard に代わるサービスを探さねば

愚痴っているうちに、よくわからんスウェーデンの金融機関アプリに登録を回避したいだけだったのを思い出した。そしてサービスを捜し当ててもまた数年でサービス終了とか大企業による買収によって引っ越しを考えねばならないのが頭痛い。面倒臭い。デジタル社会のどこがどう便利なのか三日三晩問い詰めてみたい。


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