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焼きそば湯切り孔で、消費者の無力化を考える


つい先日の会話。「カップ焼きそばの湯切りがうまくできなくて、麺が流しにドバーって出ちゃうヒト、たまにいるよねー」イマドキはどうかよくわからないが、自分でもすんでのところでやるところだった……という経験が無いわけでもない。でも、そのような「あわや」を体験することで、その体験がまた違うところにも役に立つか立たないかかなりビミョーではあるが、知恵は体験の積み重ねであることには代わりないと思われる。

うちは群馬だからという訳でもないが、ペヤングソース焼きそばが定番だ。群馬に関係なくても、少なくともここ12年くらいは、ペヤング以外のカップ焼きそばを購入した記憶がない。あの四角さがストックにいいのだ。

ペヤングの湯切り口

ペヤングは、伝統的な湯切り口だ。フタの端っこのツメを持ち上げた孔から湯を切る。このカドを構成する辺をしっかり上下に握って湯を切らないと、カドからフタが開いてしまい麺がドバー……、、、っと。とほほなコトになってしまうのだ。

しかし、R25.jpによると、そんな原始的なフタは、すでに殆ど目にすることがないとのこと。うっそー!? 聞いてねーぜ。どれどれ、どんなモノなのかい?

200706111.jpgR25.jpの該当ページを参照するに、何ぢゃコレ? 世の中は、こんな甘ったれ商品であふれかえってしまっているの!! 確かに、従来のペヤング方式では、片手で湯切りができない。両手が十全に使えるヒトしか上手に手早く湯切りできない。湯のI/Oを考えるとペヤングはアンチユビキタスインターフェイスだったのだ。知らなかった。

でも、両手が充分に使えるヒトにとっては、ユビキタスインターフェイスな湯切り口は、危険を経験できないナマケモノインターフェイスなのだ。つまり、取り扱いが無防備になる。企業の努力や商品開発で、消費者の注意を喚起させなくなり、いざというときに何もできなくなってしまうのだ。生活の知恵を得る機会をすっかり奪われてしまっているのだ。

湯を入れて(また出して)ソースを混ぜれば食べられるカップ焼きそば。その工程から焼くという行為を引き抜くだけに飽きたらず、ひっくり返すとモノがこぼれますという危険を経験することまでもが引き抜かれてしまっている。


【追記 2007.12】

カップ麺─湯切りグランプリまで開催され、消費者のダメっぷりがますます強調されてきた感じがします。

これねー、ひょっとしたらア〆リ力人対策なんぢゃないかという疑いがあります。湯を出そうとしたら麺まで流れ出た→カネ返せ、なんていう主張が裁判に持ち込まれたら、その裁判の勝ち負けにかかわらず「めんどくさい」。だったらいい方法を考え出してやろう、っていう逃げの戦法と思われます。

小学校では、順位付け禁止により目標を失い、騎馬戦禁止によりどこまでやれば怪我になるかを知ることができないままオトナになってゆくので、やぱし、湯切りも片手で安全に簡単にできなくちゃならないのでしょうか。

そのうち、オートロック包丁とかになっちゃうんでしょうか。


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