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フラットデザイン一辺倒だったあの時代は何だったのか


「iOS 26」正式発表、12年ぶりにデザイン刷新、“液体ガラス”のようなUIに》というニュースを見て、しばし考え込んでしまった。Liquid Glass デザインて何なんだ? 10年くらい前はフラットデザインじゃなきゃダメというムーブメントがあったように思うのだが、いつのまに廃れたのだろう?

skeuomorphism - flat

なぜフラットデザインが支持されたのか

2010年代初頭、突如としてデジタルデザインの世界を席巻したのが「フラットデザイン」である。それまで主流だった立体感やグラデーション、影を多用した“リアル”なデザインから一転し、あらゆる装飾をそぎ落としたかのようなミニマルな表現が広まっていった。

象徴的だったのは、AppleがiOS 7でスキューモーフィズム(擬似立体)を排除したことだろう。これを皮切りに、多くの企業やサービスがフラットデザインを導入し、「フラットこそ正義」という空気がデザイン業界を支配するようになった。

当時のフラットデザインには確かに合理性があった。画面が小さく操作性が求められるスマートフォンの普及に伴い、複雑な装飾は逆にユーザーの混乱を招く恐れがあった。小さい画面ながらも細かいディテールを描写するスペック的余裕の無さも影響していたことだろう。

また、レスポンシブデザインの広がりにより、レイアウトの単純化が必要とされていた時代背景もあった。機能性と視認性を重視した設計思想は、多くのユーザーにとっても「使いやすい」と感じさせるものだった。

一辺倒になったことで失われたもの

しかし、フラットデザインが一種の“ルール”として定着し、「そうしなければ時代遅れ」とまで言われるようになった頃から、デザインの自由度は急激に失われていく。

UIはどれも似たような見た目になり、ブランドごとの個性が消えていった。ボタンとリンクの区別がつきにくい、視認性が悪化する配色、無機質で退屈な画面。シンプルさを追求するあまり、ユーザー体験がかえって損なわれてしまった例も少なくない。

特に問題だったのは、「ユーザーの理解」よりも「ルールの厳守」が優先される風潮である。フラットデザインを採用することが目的となり、デザインの本来の役割──情報の伝達、印象の形成、操作の誘導──が置き去りにされた場面もあった。

デザインは“正しさ”より“適切さ”へ

このような状況に対するカウンターとして、マテリアルデザインやニューモーフィズムといった新たな潮流が登場する。とりわけGoogleの提唱したマテリアルデザインは、フラットデザインのミニマルさを踏襲しつつ、光や影、アニメーションによって情報の階層やインタラクションを明示し、視覚的なわかりやすさを回復させた。

フラット一辺倒のデザインに疲れたユーザーとクリエイターの双方が、ここでようやく「選択肢」を取り戻したのである。ニューモーフィズムに代表されるような、より感覚的・物理的なUIへの回帰もまた、単なる流行ではなく、「人にとって心地よいデザインとは何か」という問い直しの結果と言えるだろう。

今では「フラットか否か」ではなく、「そのデザインがその目的に適しているか」が問われる時代となっている。洗練されたミニマルも、遊び心あるリッチなUIも、どちらが正解ということはない。重要なのは、ユーザーと文脈に応じた“適切な選択”を行うことだ。

フラットデザイン一辺倒だったあの時代は、言うなれば「混沌を整理するための極端な実験期間」だったのかもしれない。その実験を経たからこそ、今の多様性と柔軟性がある。あの時代を「何だったのか」と振り返るとき、単なる流行ではなく、デザインの進化に必要だった通過点だったと捉えるのが適切だろう。


Posted in デザイン
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